長寿社会の矛盾

長寿社会を考える

6月 16 日の日本経済新聞の「90歳を生きぬく自分年金」、 WEIDGE8月号「高齢者を若返らせるスイスの発想」という記事を見て、長寿社会について日ごろ感じていることをピックアップしてみようと思い、今月号を書くこととした。

長寿社会はいつも言うことだが、秦の始皇帝が不老不死の薬を探させた故事以来人類の願いでもあり、かってあったとされる「桃源郷」に近づいている喜ばしい社会の到来と受け止めている。

私が生まれた昭和 11年の男子の平均余命は約45歳であったものが、現在では 79歳で 34年も長く なっており、4人に1人が生存している年齢は記事にもある通り、90歳に達している。誠に喜ばしい限りである。

長寿社会はお金に働いて貰う社会

長寿社会は現在の制度では現役引退後の年数が長い社会である。
60歳定年制であれば 30年、 65歳であれば 25年、 つまり 40年働いて残りの30年を支える、45年働い て残りの25年を支える社会である。

さらに言い換えれば、最初の10年分を医療・介護の費用に充てるとすれば 30年前に貯蓄したお金を取り崩して今年の生活を賄う勘定になる。現在 10万円のお金は30年前はいくらあればよかったか。金利が7・2%であれば8分の1で1万2千5百円、今日の10万円は30年後の80万円である。

しかし、現在の金利は極論すれば「ゼロ」、現在の10万円は30年後も10万円。こう考えると現在の低金利は異常な社会と言えそうである。かって郵貯の定額貯金は8%の利息が付いていた時期もあったし、5%が長期間常識の時代もあった。見方を変えると長寿社会は終生現役で働ける社会、自分の能力に応じて働く社会でもある。このことについては後日に譲る。

長寿社会は桃源郷か姥捨て山か

長寿社会はこれからどう推移するかわからないが、「ゼロ」金利が続いている限り、長寿社会を維持発展させることは難しい。

「桃源郷」へ向かうには、高齢者へ適度な金利を支払えるような経済成長がなければならない。でなければ、矛盾が拡大していき、行きつく先は大きな破綻が生じ、やがて「姥捨て山」と化してしまうほかないのであろうか。

長く続いているゼロ金利状態を見ていると、一頃言われた「合成の誤謬」が金融システムの中に生じているのではなかろうか、と思うことが多い。

遠くは日本のバブル崩壊、近くはサブプライム・ローンからリーマン・ショックに至る金融危機、さらにリーマン・ショックを契機に今進行しているギリシャ、スペイン、イタリアを巻き込んで起きているユーロ危機は低金利に誘発されたものとしか思えないのである。

破綻した金融機関や国へ量的緩和でお金を印刷して救済しているが、そのお金は金融機関に廻され借金漬けにされた国民や中小企業へ回らずに、その生活を破綻させてしまって、巨大な金融セクター内を循環し増幅し続けているのが現在の金融システムである。

金利を生み出す金融の仕組みが必要

何度も言うが、長寿社会は、お金に働いて貰わなければ成り立たないのである。金利は経済成長と密接にリンクし、経済が成長すれば、金利もそれだけ高くなる。7月 17 日の日本経済新聞のコラム「春秋」によれば明治の産業近代化を担った渋沢栄一は新しい株式会社制度と銀行制度を導入し産業近代化を築いた。

金融機関の役割は、原点に返り金融資本に振り回されず産業資本として、イスラム金融方式、あるいはプロジェクトファイナンスのように、産業と結びつくように、その資金を産業の創造・育成に活かす義務があるといっても過言ではない。

グラミン銀行が始めたマイクロファイナンスではないが、国民に密着し、長寿社会を桃源郷にするような国民に密着した新しい金融システムが求められている。

税理士法人LRパートナーズ 代表社員 小川 湧三

 


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