グローバル・エコノミーの終焉

始まり

会長グローバル・エコノミーは、1989年11月10日ベルリンの壁の崩壊に始まった。自由民主主義が共産主義に勝ち、これからは自由主義・民主主義・資本主義が世界のルールになるとグローバル・エコノミーへ世界中が期待した。

ところが、日本ではベルリンの壁崩壊の直後、1989年12月、史上最高値を付けた株価が、翌1990年1月4日下げに転じ経済が逆回転を始めた。さらに、その翌年、1991年3月、不動産融資の総量規制が始まり、不動産価格の大暴落が始まった。

企業の海外進出

バブル崩壊による経済の停滞に陥った企業は、経済のグローバル化の兆しに乗じて、国内での生産を整理し、賃金の安い中国・東南アジアへの進出を始めた。第一波と第二波とあったのを覚えている。

時、あたかも、80年代の後半から国内では、週48時間労働から週40時間労働への移行の最中で、賃金コスト上昇にあえぐ中、低賃金を求めて海外進出しやすくなったため、国内工場労働者の雇用の整理をする派遣労働法の改正が行われ、ブルーカラーというサラリーマンの中間層が崩壊した。

次に、新自由主義のうねりのなかで大店舗法が改正され、大資本による郊外型大型店舗が展開された。

地方都市中核に立地していた地場の商業店舗などが崩壊し、いわゆる、シャッター街の出現が起こり、地域で循環していたマネーが大資本に吸収され、地域内のマネー循環が途絶え、地域の衰退を加速させた。

赤い頭巾を被った狼

とどめは、2001年、中国を資本主義陣営に引き入れ、国際ルールの枠組みに入れるべくWTOへの加入を認めたことである。

日本企業は中国のWTO加入がグローバル・エコノミーの総仕上げと勘違いして、海外への安い労働力を求めて国内工場を閉鎖し、特に中国へ一斉にシフトをし、中国や東南アジアの低賃金を求める産業体制に移行した。その結果、日本の中小企業は壊滅してしまい、日本のラスト・ベルト化が出現し、「失われた30年」が現実のものとなった。

慌てふためくアメリカ

グローバル・エコノミーによる新自由主義は、アメリカでも強者と弱者の格差を拡大し、さらに、「ウォール街を占拠せよ」事件のように社会の分断が表面化して、「アメリカの夢」が消えてしまった。

また、自由主義陣営の守護神として、世界の警察官としてベトナム戦争、イラン・イラク戦争など、日本の国家予算の10年分にも相当する膨大な戦費を費やして体力を消耗してしまった。

中国は、気が付いたら10年も経たないうちに、低賃金と国策で資本統制し国家資本主義、経済の武器化により、あっという間にアメリカに匹敵する軍事力をつけてしまった。

赤頭巾を被った中国は、共産主義を脱ぎ捨て、新自由主義体制に入るのではなく、国家資本主義の鎧を着て、僅か十数年でアメリカを脅かす軍事大国として現れた。

その時アメリカは、中国の軍事産業に対抗できる工業力がないことに気づき、トランプ大統領はモノづくり能力を回帰させる政策として、大急ぎで関税政策を打ち出した、とみるのは私だけであろうか。

グローバル・エコノミーの終焉

赤頭巾を被った狼・中国が赤頭巾を脱いでみたら、自由主義社会の資本主義ならぬ、国家資本主義の衣を被って現れたのである。

中国に追い越されてしまった工業力を取り戻すために、トランプ大統領が就任すると、いきなり関税戦争を始めた。

中国に対するのに、冷戦時代より強固に自由主義国が結束して対抗していかなければならないときに、プーチン大統領や習近平主席と同じように「ディール」と称して自国アメリカ一国、自国のことしか考えず、本来共同で協調して対峙しなければならない自由主義国をもディールの対象とし、経済を武器に関税で威嚇し、アメリカ離れを起こしてしまった。

法と融和を基調とするグローバル・エコノミーを目指す社会は消滅してしまった。

アメリカはイラン攻撃を始めた。力による「ディール」はロシアのプーチン大統領と同じである。力むき出しの政策をみて、中国の習近平主席はアメリカに三正面作戦を行う力がないのを見越して、上手に台湾進攻を始めるであろう。

グローバル・エコノミーは終わり、新たな危機が始まった。

 

LR小川会計グループ
代表 小川 湧三

 

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