昭和59年化学品卸会社での出来事【Ⅱ-❼】

昭和59年化学品卸会社での出来事 エピソードⅡ-❼

ドラマの終結と国税内部のゆるみ

ぜい昔話
昭和59年の丸の内

社長・総務部長・経理部長・税理士だけを集め「本日は非常に重要な調査に移行するので協力してほしい」と宣言し、乙営業部長の机へ赴いた。身分証明書を呈示しながら「この調査は非常に大事なので協力されたい。他の社員に不安を与えたくないが机・ロッカー・鞄・背広を拝見させてください。その理由を貴男は分かっているはずです。よろしいですね」と承諾を確認後、会社・自宅の全ての本人所有物を調べた。預金通帳・預金カード・メモ等不正の証拠物は発見できなかった。「絶対あるはずのものが何故ないのだ」と本人を激しく問い詰めた。「このことが暴かれると私は殺される」と泣き叫ぶだけで、一向に埒があがらなかった。その日夜遅く会社調査は終了した。その後も何ら調査展開はなかった。

すべての責任が乙営業部長に押し付けられ億単位の現金の行方は不明のまま、最終的に調査対象法人が署に過去の法人税修正申告書(架空外注費・その他流出で署内検討会は承認)受理とともに重加算税の賦課決定処理を行い、調査終了となった。担当者の私は巨額な不正計算を発見していながら、真実(億単位の金の行方)を把握できずに悔いが残った。

数年後、ある国税職員本人葬儀で、遠目にその社長と私と調査同行した特官(その時は既に退職し税理士)が仲良く話している姿を認め、これは正夢か(あ、しまったやられた➡相手と通じていたのか)と考え耽っている自分が情けなかった。

実は今回調査の終了には不思議なことが多々あったことに気付かされた。私は過去の経験から(調査取引周辺者・国税内部関係者)一切の調査情報を知られないように秘匿に調査を進めるよう細心の注意を払ったはずだが、自分の上司とりわけ組調査(税務用語:1件の調査事案を2人以上で調査することによって、事実の隠蔽や改ざんの防止や危険負担の軽減)においては、お互いに情報を共有しなければ良い調査ができない。だが、機密情報が漏れていたのだ。不正行為者の乙営業部長は、結果がわかっていたから口をつぐんだままで泣き叫ぶだけで逃げ果せたのだ。

また、PL不正金額数千万円以上に達した時点で国税局へ内容連絡(調査の途中で経過の説明・国税局保有資料の有無➡現在の国税局調査事案の3件に2件はこの手続から国税局事案となる)に行くことになっていたがその書類作成や不正数千万円の内容を連絡せずに調査終了は不審であった。

実はこの後、国税内部に税理士斡旋制度ができOB幹部に会社を紹介すると出世できるとの裏話があり、2階・3階建て(1法人に2人・3人OB幹部を紹介・斡旋)と称した国税内部のおごりとゆるみにつながっていった。

その結果が、18年後の組織ぐるみの特定幹部による例えば元国税局長の多額(大半が顧問料)の所得隠し巨額脱税事件へと発展していく。彼は元監察官(職員の不正を正す立場)にあった人。その後、退職時の税理士斡旋制度は廃止され、税理士業界においても税務署幹部の在職時の具体的役職名の表示の禁止(日税連)となった。

▶︎▶︎▶︎ エピソードⅡ 完 ▶︎▶︎▶︎

 



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