無謬性神話の亡霊

3.11 東日本大震災

1000年に一度の幅200キロ長さ500キロに及ぶ四つの震源を含む複合大地震が起き、100年に一度といわれたリーマンショックの比ではない打撃を日本全体に及ぼしている。地震、津波の自然災害に加えて原子力発電所の事故とそれに伴う二次災害とも、人災とも言うべき計画停電、放射能汚染が発生し、広く国民に被害が波及している。

原子力発電所の事故

原子力発電所の事故が連日報道されているが 『隔靴掻痒』の感を否めないのは私だけではなかろう。事故の対応を見ていると、徒手空拳、第二次大戦中に軍が国民に課した「竹槍作戦」を見ているようだ。

日本はロボット大国だといわれているが、高放射能の中で作業するロボットの開発はどうなっているのだろうか、水や土壌や空気が放射能に汚染されたときの除染技術はどうなっているのだろうか(※)、原子力安全委員会とか原子力安全・保安院とか権威のある役所があるが、こういうところは原子力の利用に伴う危険除去の技術開発をどのように取り組み推進しているのだろうか。

このようなことは私が見過ごしているのかもしれないが、まったく解説も報道もなされていないようにみえることが『隔靴掻痒』の大きな要因である。

(※)4月14日の日経に「汚染水の浄化検討」の記事が出ていた。汚染水を海に放流する前になぜ浄化して放流しなかったのだろうか?

ある週刊誌の記事から

ある週刊誌を読んでいたら次のような記事が目に留まった。1999年の東海村臨界事故を受けて、遠隔操作によるロボット技術を開発してきたが「原発は安全、事故は絶対に起こさないという国の方針によって、開発から1年後の 03 年にすべて廃棄された」という趣旨の開発関係者の発言が記載されていた。

「原発は安全、事故は絶対起こさないという国の方針」だから「退避手段とか事故を前提とした対策(ヨウ素剤の配布など)はできない」という発想はどこから出てくるのだろうか。

核エネルギーを制御することは最先端の科学技術である。原子力発電所の事故も世界では既に起きており、ちょっと誤れば甚大な被害を及ぼすこと、被曝の恐ろしさは広島、長崎で体験しており、核事故には極めて敏感であって欲しいものである。

国を滅ぼす無謬性神話の亡霊

行政に誤りがあってはならないという「行政の無謬性」という言葉があった。しかし、敗戦後の新憲法で官僚は天皇の吏員から国家公務員として「国民の公僕」に変わったにも拘わらず、これを官僚の責任回避の理論にすり替えて、戦前に根付いていた「無謬性神話」をそのまま踏襲してしまった。

これが前述の発想の中核思想で、自分たちの責任回避の枠組みが出来上がれば、そこから国民の安全を守るのにはどうしたらよいか、技術水準を上げるにはどうしたらよいかという思考が停止し、新しい提案や批判があっても真摯に検討することなく排除し、国を滅ぼしかねない事故を起こしてしまったのである。

責任を負わない官僚制度から責任を伴う公務員制度へ

原発事故は明らかに国の政策を預る人々が「権力の無謬性」を背景として、科学的知見さえも封じ込めてしまう無責任体制で固められた官僚(国家公務員)たちによる人災である。

民主党はじめ自民党も公務員制度改革を掲げているが、単なる人数あわせにとどめずに、「無謬性神話」の亡霊を退治し、科学技術に限界があり、人は可謬性から逃れられないという前提のもとに、政策の実行に責任を持てる公務員制度を作ってほしいと願うものである。

税理士法人LRパートナーズ 代表社員 小川 湧三

 


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