コンプライアンス(法令遵守)

コンプライアンス

No97_YOコンプライアンス(法令遵守)と言う言葉を目にすることが多くなってきた。
私たちもお手伝いしている企業や個人の方から、個人情報の取り扱いに関して確認書を求められる事例も出てきている。仕事を依頼するにあたり個人情報を提供しなければならないけれども、提供した個人情報を個人情報保護法の趣旨に従って取り扱うように、ということである。

また、新聞やテレビで報道される事件などを見ていると他山の石として注意しなければならないことが多くなってきたと思う。ちなみに、当LR小川会計グループでは去る3月12日「コンプライアンス時代の労務管理」としてセミナーを開催した。(下図参考)

コンプライアンスをどう考えるか

当然の事ながらコンプライアンスの適用範囲は特定の法律分野に限定されるわけではなく全法令に及ぶので、結果的には法社会制度と密接不可分なものである。コンプライアンスは欧米、特にアメリカを中心に発展してきた概念といわれている。

日本には2千年の歴史の中、狭い国土の中で培われてきた農耕民族型の社会風土に裏打ちされてきた法規範があり、「五箇条のご誓文」に代表されるように法三章、法は簡潔であればあるほど良い、という考え方が根底にあるように思われる。

これに対して、アメリカは、日本に比べて遥かに短い歴史の国である。しかも、ヨーロッパ各国の体制の中において少数派の人たちが渡来し移民してきたという背景があり、社会風土も思考方法も異なる多民族が人工的に作り上げてきた国である。

契約や法律といった形で約束事を決め、それを相互に守ることによって初めて成り立つ仕組みなのである。

同じ法社会国家とはいえ、日本とアメリカとは同じであろうはずがない。

形式的コンプライアンスの適用は日本社会に馴染むか

No97_10524229日本における法規範意識の特徴は、法律が方向性・ガイドラインを示すものであり、そこへ人間の持つ心の揺らぎやファジーな部分を許容しているものと捉えがちなことにあるように思われる。

このような法規範意識を持つ社会において欧米型のコンプライアンスを厳格に適用しようとしたとき、違和感が生じることになるのである。

適用される法律が社会的常識から乖離している場合、「悪法も法なり」として従わざるを得ないが、違反に問われた場合には、「運が悪かった」という感じで受け止めるであろう。

「みんな同じことをやっているのに私だけどうしてダメなの?」という受け止め方である。

また、JR西日本の尼崎列車脱線事故のときには、多数の被害者家族を含む多くの市民から家族の安否情報の問い合わせに対して個人情報保護法を盾に被害者や市民に対して情報の提供を拒否して事故現場での対応に非難が集中した。当然である。

結局、暗黙の一線を超えると「誰が見てもあれはやりすぎだよ」という社会的常識ともいうべきコンセンサスの上に日本型コンプライアンスが成り立ってきたのではないだろうか。

本稿を書いている時、ライブドア事件の堀江氏に対する第一審の判決が報道されていた。この判決に法律論として賛否両論があろうが「あれはやりすぎだよ」という感想を持っている方もいらっしゃることだろう。
いま、この社会的常識が急速に変化しており遵守すべき法令と間のギャップが拡大しているところに問題がある。

企業経営者にとってコンプライアンスは重要

企業にとっては今まで考えられなかった事態が生じている。
売上が一瞬にして「ゼロ」になったり企業そのものが消滅の危機にさらされてしまう事態である。アメリカではエンロン事件やワールドコム事件で超巨大会計監査法人が消滅してしまった。日本でも不二家、雪印乳業、日本ハムなど記憶にも新しい。

どうしてこのような事態が発生するようになったのか、それはコンプライアンスの背景にある社会的常識が供給者サイドから需要者・消費者サイドへシフトしてきたためである。製造業に代表される供給者の常識が、消費者側から見た場合には非常識となってきたのである。

コンプライアンスとは一般に「法令遵守」と訳されているが、経営者にとってあらゆる法令に精通することは不可能である。

日本型のコンプライアンスの下では時代背景に沿った健全な社会的常識を基本に経営方針などに反映させ、全社員に周知させることが重要になってきたのであり、必要なことである。

税理士法人 LRパートナーズ 代表社員 小川湧三

 


神奈川県川崎市で税理士をお探しなら

LR小川会計グループ

経営者のパートナーとして中小企業の皆さまをサポートします


お問い合わせ