昭和59年化学品卸会社での出来事【Ⅱ-❻】

ぜい昔話 エピソードⅡ ❻

最後はドラマの終結(真実はどこへ)

ぜい昔話
昭和59年の丸の内

山道をただひたすら登って行った。登り始めて約1時間が経ち、後ろを振り向いた時、さっきのバス停が米粒くらいになっていた。特官は「おい、大丈夫か。こんな山奥に本当に工場なんてあるのか。今日戻れなくならないか」と言った時、小型トラックが唸り声を上げながら登ってきた。私はとっさに車を止め、「甲会社の社長の甲さんですか?」と声をかけた。

目指す会社名を確認し、私は身分証明書を呈示し、「実は東京から貴方に調査に来ました」と言ったところ、彼の手がワナワナと震えて、調査拒否を感じた私は間髪を入れずに「このことは我々2人しか知らない重要事項で貴方の協力が必要なのです」あたりは、夕日に染まってきていた。

「単刀直入に聞きます。貴方はB法人の不正計算に加担していますね。東京の某銀行への振込はB法人の誰に依頼されたのですか」社長はガックリうなだれながら、「実は営業部長の乙に依頼され、悪いこととは知りながら架空外注費の請求書を作成し、不正計算に加担しました。私の取り分は3%だけで、後はご指摘どおり依頼された口座へ送金しました」このことを書類にしたためますので、署名捺印をお願いします。

今日の出来事は、誰にも話さないでくださいと言って山をおりた。バス・タクシー、列車もなかったが国道で親切な学校の先生の車に出会い、目的の宿まで送ってもらった。

翌日一番の電車で東京に戻り、前日の学校の先生宛に感謝の文と菓子折りを送り、調査会社に翌週の月曜日の午前10時に出向いた。

会議室にて社長・総務部長・経理部長・税理士へ「これから非常に大事な調査を行うので協力してほしい」と宣言し、すぐさま私は乙営業部長の机へ赴き、身分証明書を呈示し「これからの調査は非常に大事なことなので協力されたい。他の社員に不安を与えたくないが机・ロッカー・鞄を拝見させてください。その理由を貴方は分かっているはずです。よろしいですね」と承諾の確認後、会社・自宅の全ての本人所有物を調べるも預金通帳・預金カード・メモ等不正の証拠物は発見できなかった。「絶対あるはずのものが何故ないのだ」と、本人を激しく問い詰めた。「このことが暴かれると私は殺される」と泣き叫ぶだけで、一向に埒が明かなかった。その日夜遅く会社調査は終了した。

その後も何ら調査展開はなかった。すべての責任が乙営業部長に押し付けられ数億単位の現金の行方は不明のまま、最終的に社長・幹部役員・税理士が署に過去の法人税修正申告書(架空外注費・その他流出で重要事案検討会署長承認)の受理とともに重加算税の賦課決定処理を行い、調査終了となった。担当者の私は巨額な不正計算を発見していながら、真実(億単位の金の行方)を把握できなかった。

数年後、ある国税職員本人葬儀で、遠目にその社長と私と調査同行した特官(その時は既に退職し税理士)が仲良く話している姿を認め、これは正夢か(あ、しまったやられた➡幹部は相手と通じていたのか)と考え耽っている自分が情けなかった。機動性、正確性は合格だが秘匿性の点で不合格か?既に国税内部の腐敗が始動、元某国税局長脱税事件の芽が育っていたのだ。

▶︎▶︎▶︎ つづきは2023年(令和5年)2月号へ ▶︎▶︎▶︎

 



 

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