銀行の本業

地銀9割消滅?

会長

「地銀9割消滅?」という見出しに惹かれて雑誌「The Liberty」3月号を手に取った。

読み始めて目に留まったのが「銀行の本業は、お金を貸して金利を稼ぐことです」と、それに続いて「でもお金を貸しても極端な場合、金利は1%を切ることがあります。それに銀行の数が多いために…(略)…金利の引き下げ競争が起きています。…だから周囲の行員は『こんなことはいつまでも続けられない』という危機意識を持っています」という文章が目に留まった。

「銀行の本業はお金を貸して金利を稼ぐこと」と本気で考えているのであろうか?明治6年に渋沢栄一氏が第一国立銀行を設立してから150年弱、銀行の役割はあまりにも矮小化されてしまったものだ。

銀行の本業は金を貸すこと?

わたくしは銀行の本業は「金融を通じて、社会や経済を豊かにすること」だと考えている。「お金を貸すところがありません…」「金利が下がったから利益が出せません…お手あげです」ということはあまりにも能がなさすぎる、と思う。
昨年12月「イスラム金融」でも引用させていただいたが、渋沢栄一氏の言葉を引用させていただく。

氏は銀行設立にあたって、銀行の意義を次のように述べている。

「そもそも銀行は大河のようなものだ。役に立つことは限りがない。しかしまだ銀行に集まってこないうちの金銭は、溝にたまっている水や、ポタポタ垂れているシズクと変わりはない。時には巨商豪農の倉の中に隠れていたり、日雇い人夫やお婆さんの懐にひそんでいたりする。それでは折角人を利し国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない。万里を流れる勢いがあっても、土手や岡にさまたげられて進むことは出来ない。しかし銀行を建てて巧みに流れ道を開くと、倉や懐にあった金が寄り集まって、非常に多額の資金となるから、おかげで貿易も繁昌するし、産物もふえるし、工業も発達するし、学術も進歩するし、道路も便利になるし、すべて国の状態は趣をかえる。(下略)」「『新装版澁澤榮一』p.196

このように、民間銀行にお金を集積させ、産業を振興させ、産業の収益の中から預金者に対して利子を支払う源泉を求めているのである。

産業創造こそ真の役割

渋沢栄一氏はスエズ運河を通ったときに、運河の壮大さとその事業の仕組みに興味をもって調べたところ、資本を集める銀行の仕組みや、資本を事業に活かす合本(株式会社)の仕組みを知り、帰国後日本に株式会社制度や銀行の仕組みを導入した。

ソ連崩壊後30年、地球規模のグローバル社会が到来したいま、スエズ運河開通のようにグローバルな戦略意識に基づいて、国民の預金、企業の技術、国家のグローバル戦略と官民挙げて産業振興のプロジェクトを実行する時代が訪れたのである。

地球規模で見渡せば、先進国と言われる国々ではインフラの老朽化の整備の遅れが目立つし、逆に発展途上国では膨大なインフラ整備の遅れが目立つ。産業創造は何も日本国内に限定する必要はないのである。

預金者に5%の利息を

ほっとタイムス196号に書いたことを再掲する。

『”預金金利5%をつけられる政策を”なんていうと気が狂ったのではないかと思われるであろう。

しかし、よくよく考えてみると長寿社会はお金に働いてもらわなければ成り立たない社会なのである。長寿社会は人間としての夢が実現した社会である。秦の始皇帝が不老長寿の薬を求めて世界中に使者を遣わし探し求めて叶わなかった社会だ。

その社会が目の前に実現しかかっているのに〝高齢化社会〟といって年齢を重ねることが何か悪いことでもしているような空気が感じられるのはおかしなことだと感じないのであろうか。長寿社会を素直に喜べる社会にするには、その一例として「預金金利5%をつけられる産業政策」が必要だと提案しているのである。』

高齢者に金融資産を取り崩して使わせるのではなく、金融資産の余剰(利息)で高齢者が生活できるように責任をもって運用し、老後の安心・安定を得るために貯蓄してきた高齢者に報いることが、政府にとってもコストのかからない社会保障である。

人体に例えれば血液を送り出している心臓の役割をしている金融機関・銀行が、本来の存在意義を忘れて「銀行の本業は金貸し」といっているようでは、雑誌のタイトルにあるように、9割消滅してもやむを得ない。金融のプロの矜持はどこへ行ったのであろうか。

 

税理士法人LRパートナーズ
代表社員 小川 湧三
 

お問い合わせ

神奈川県川崎市で税理士・社会保険労務士をお探しなら

LR小川会計グループ

経営者のパートナーとして中小企業の皆さまをサポートします