大廃業時代

Takatsu Crafts会長

地元の協同組合がモノづくりの有志で「Takatsu Crafts」というなかなか出来栄えの良いモノづくり有志の事業紹介誌を出した。

ふっと気になって創立年月を調べてみた。19社中13社3分の2が昭和50年代(1984年)までの創業であった。さらにこのうちの3分の2は昭和50年(1975年)以前の創業であった。

Takatsu Crafts
大廃業時代

日本経済新聞に「消える GDP 22兆円:大廃業時代」と題して4回シリーズの特集が掲載されていた。後継者のいない中小企業が廃業時代を迎え、22兆円ものGDPが消えてしまうという。

大企業は一次、二次下請けぐらいまでは目が届くが、重層化した産業構造の底辺にある中小企業までは目が届かない。むしろ、大企業の採算を重視した経営方針に振り回されてきたのが現状である。

たとえば2000~2001年に川崎市内にある大企業はすべてと言っていいくらい中国にシフトした。それによって、私のお客さまの10社近い製造業の人たちは廃業に追い込まれたのが鮮明な記憶に残っている。

後継者不在

後継者不在は一にも二にも後継者を育ててこなかったことにあるといっても過言ではない。シリーズの中で内野博之社長も述べているように「〝息子たちには自分の人生を歩んでほしい〟と親族承継に二の足を踏んでいた」とあるように、多くの中小企業の経営者は創業したあと、資金繰りや取引先の盛衰や昼夜を問わない仕事の苦労など経営の苦労を子供たちには味あわせたくない、との思いから先の内野社長のように子供たちには自分の選んだ道に進ませる、進ませたいというのが大半であったと感じている。この意味で大半の中小企業経営者は子供たちの後継者育成を放棄していた、あるいは避けていたというのが実情に近い。

むしろ事業の承継・継続については社内に有能な人たちが育てばその人たちに任せたいと云うのが本音であったと思っている。

かつて大創業時代があった

私が税理士を始めたのは昭和38年である。特に昭和40年代は製造業を中心にあらゆる業種の大創業時代があった。

地方から「金の卵」と称する中学校卒、高等学校卒の若い人たちが労働力として、吸い込まれるように首都圏の工業地帯に就職してきた。その人たちが一定年限の修業をして技能を身に付けると、独立して起業・開業した時代である。

身一つで、軒先に機械一台という創業が珍しくなかった時代である。機械を購入する資金は月賦や手形貸し付けなどで調達した。当時は機械がフル稼働すれば1年もたたずに購入資金を回収できる良き時代でもあった。その結果が「大廃業時代」に書かれている大田区のピーク7000社といわれる時代である。

大田区から溢れて川崎市の中原・高津の工業地帯がうまれ、さらに相模原、あるいは地方の工業団地へ拡散していった。

冒頭の Takatsu Crafts で取り上げた企業の大半は大創業時代に創業した企業の生き残りといっても過言ではない。

新しい創業時代を目指して

大創業時代を経て、日本は総中流社会を実現した。しかし、中小企業の衰退と共に総中流社会から格差社会へ転落し、貧困率が話題となるような活力のない社会へと変貌した。

これからの製造業の創業や事業の承継は社内承継や、イタリアのボローニャで行われているような擬似スピンアウトの仕組みづくりが必要ではなかろうか。

企業内の社員に事業承継する仕組みについてはストック・オプションに対する税制優遇で承継者が税負担で潰されないような仕組みづくりが考えられる。

後継者がいない場合であっても、5〜10年専門経営者が経営を引き受けてくれる仕組みができればよいと思う。

さらに、大企業が研究開発部門の中から創業型分社の形態で研究開発者が創業できるように支援するストック・オプションを組み込んだ仕組みがあると良い。

もう一つ、大企業が特定分野から撤退するときその部門を社内公募等の仕組みで事業分離し従来の事業を承継型分社により事業を地域社会に残していく仕組みなど一考に値するのではないだろうか。

 

 

税理士法人LRパートナーズ
代表社員 小川 湧三


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