中小企業金融と新銀行東京

新銀行東京の経過と課題

No109_14284211新銀行東京は石原都知事が都知事選挙公約のうち中小企業対策の一環として、その主導の下に設立された銀行で、東京都が84%強1000億円を出資している銀行である。

2005年4月1日に開業し、僅か3年の短期間に1000億円を超える欠損を計上し、東京都に追加出資を求めていた。紆余曲折があったが、最終的に石原都知事が400億円の追加出資を決めたことからクロースアップされることになった。

新銀行東京の設立の背景には、平成9年の金融機関の倒産にはじまる中小企業に対して猛烈に吹き荒れた「貸し渋り」や「貸し剥がし」旋風と、それを受けて平成10年から実施された「貸し渋り対応特別保証」制度が強烈な余震のように中小企業を苦境に追い込んでしまったことがある。

このよう背景の中で石原都知事は中小企業対策の目玉として中小企業のための新銀行の設立を選挙公約としたのである。

新銀行東京はなぜ、失敗したか。

報道されているところによれば、銀行の融資とはいえず「たかり」の餌食になった感がある。平成10年に実施された「貸し渋り対応特別保証」制度が実施された時は多くの金融機関はこの「貸し渋り対応特別保証」制度を利用し、自らの融資を引き上げた。

また、一部の人たちは借り逃げ、踏み倒し前提でこの融資保証制度を利用した。金融機関に肩代わりをさせられた中小企業は本来リスケジュールにより返済期間を延長すべき時に、この保証制度に肩代わりさせられたために、「国民の税金ですから期限の延長は認められません」という口実の元に、逆に5年間という短期間に返済を迫られ塗炭の苦しみを味わうことになってしまった。

新銀行東京の経営陣はこのような実態を直視することをせず、中小企業金融はどうあるべきか十分に研究をしないまま、中小企業金融に踏み出したために、たかりの餌食になったとしか言いようがないのである。

中小企業は連帯し自衛を目指せ

11行あった都市銀行が3行に再編される金融再編の中で起きた貸し渋り、貸し剥がしの嵐の中で、中小企業にかかわる者として感じたことは、中小企業は自衛的な金融システムを持たなければならないのではないかということである。

中小企業、特に地域金融機関に頼らざるを得ない小規模の企業や、更にはグレーゾーン金利に頼らざるを得ない零細企業も多く、金融環境は非常に厳しい。中小企業に対する融資について金融庁は地域金融機関に対して「リレーションバンキング」なる手法を提案している。

しかし、従来の担保主義からいまだ脱却し切れてはいないし、事業評価ができないのが現状である。このような状況の中では中小企業はお互いに連帯し自衛しなければならない状況になっているのではないか。

新銀行東京は中小企業の独自金融システムの構築と支援を

世界を見渡せば底辺を支える素晴らしいシステムを作っているものがある。その一つは金融立国の国スイスで世界大恐慌のあとにできたWIA銀行である。もう一つはバングラデッシュにあるグラミン銀行である。

WIA銀行の目的は「購買を通して中小企業の連帯」であり、グラミン銀行の成功のカギは「家族以外の人とグループを組む」と言うことである。

いずれも「銀行」となっているがその生い立ちはWIA銀行は協同組合組織の銀行であり、グラミン銀行は最初は5人の仲間を見つけグループを作らせ、最初は15ドル程度の貸し出しから始める。

連帯、仲間作りといえば日本にも今は死語に近いが「頼母子講」「無尽」という制度がある。中小企業はかってこのような「無尽」や「頼母子講」によって、資金の都合をつけて身を寄せ合って生きてきた。私の父も鉄筋工として終戦直後鉄筋工業所を経営していたが、頼母子講で資金のやりくりをしていたのを思い出す。

新銀行東京は中小企業基本法で定義されるような中小企業ではなく、それよりも更にさらに小さい企業、事業を対象にした新しい組織金融システムの構築と支援する役割が求められているのだと思うのである。

グラミン銀行で確立されたマイクロファイナンスの手法は、今問題となっているワーキング・プアの自立支援やSOHOの支援・中小商店街活性化への糸口にもなるであろう。

■WIA銀行

WIA銀行は1929年の世界大恐慌のなか、30年代どん底のスイスは観光業では5年間で65%も売上が減少し、小企業の倒産はかってない数字に達したという。そんなスイス経済の破綻的な状況のなかで、WIA銀行の母体となった「WIA経済リング」は1934年に16人のメンバーが協同組合として誕生し、36年には銀行法の適用を受けるまでになった。

「WIA交換リング」は個人間ではなく零細な商店や中小企業のための「経済サークル」で銀行許可を得た協同組合銀行である。
ー 「エンデの遺言」「エンデの警鐘」NHK出版参照 ー

■グラミン銀行

グラミン銀行はバングラデッシュからはじまった。貧しい人々にグループを作らせ、無担保で僅かな金を融資し、それを元手として小さなビジネスを開始させ、経済的に自立させる。

この手法は「マイクロクレジット」と呼ばれ、いまやアメリカやフランスをはじめ世界約60カ国で実践され、大きな成果を上げている。この成果によりグラミン銀行の創始者ムハマド・ユヌスは2006年ノーベル平和賞を受賞した。
ー 「ムハマド・ユヌス伝」早川書房参照 ー

■SOHO=Small Office、Home Officeの略

税理士法人 LRパートナーズ 代表社員 小川湧三

 


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