昭和51年のある衣料品卸問屋での出来事【Ⅰ-①】

ぜい昔話

エピソードⅠ  ❶

それは突然の指示であった

当時の日本橋問屋街のイメージ

昭和48年日本は、かつてない好景気に突入していた。卸売物価は47年11月から48年3月までの5カ月にわたって毎月1.5%を上回る急騰となった。また、消費者物価も同年12月の5.3%から3月の8.4%へと急速に強まった。このような大幅な物価上昇は朝鮮動乱のもとにあった昭和26年以来初めての出来事であり、現象であった。

さらに注目すべきことは、物価上昇が名目所得水準を大幅におしあげ、物価の高騰は企業に巨額の超過利潤をもたらし、47年末のボーナスや48年春闘での20.1%もの高額賃上げの妥結が実現した。

それは、日米繊維輸出により、日本経済は従業員給与、賞与の大幅賃上げから冬物衣料への駆け込み需要が高まり、猫の手を借りたいほど人手不足が切迫しており、東京では珍しく大阪弁がまかり通る日本橋問屋街には地方小売店の経営者が売れ筋人気衣料を誰よりも早く、安く仕入れようと多くの人々が朝早くから殺到していた。

1932年にイギリスのダービーを範として創設されたクラシック競馬競争。競馬の祭典。正式名称は「東京優駿」だが、一般には副称の「日本ダービー」が使われる。

生涯に一度しか出走できず、2400mというチャンピオンディスタンスで争われることから、数あるレースの中で最も格式が高く、競馬関係者の憧れとされるレースである。

以前は出走頭馬が多く、“最も運の強い馬が勝つ”と称されていた。6戦6勝の不敗の英雄“ハイセイコー”が地方競馬から中央競馬にトレードされたのは昭和48年5月27日であった。だがその結果は優勝“タケホープ”(9番人気)、準優勝“イチフジイサミ”(12番人気)、3位“ハイセイコー”(1番人気)で連勝複式の配当は9,560円であった。そして騎手増沢末夫の歌う『さらばハイセイコー』が歌番組の上位を賑わした。熱病のように巻き起こった英雄伝説はナンバーワンを目指した幾百万の地方出身者の若者達の夢だった。オールマイティなんかいるものか。「英雄のいる時代は不幸だ。英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」

そんな浮かれた時から3年後の51年11月末日「ちょっと、調査件数が足りないから1件追加でやってくれ」と指令された事案こそがまさに日本橋問屋街に所在する衣料品卸問屋のA法人であった。

この夏、法人内部事務から調査事務に配属されたばかりで、入社4年目で新人の私は「今からでは年末までは終われないですよ」と反論したが上司は「ポイントは棚卸回転率(年間売上高÷棚卸資産)が同業者と比較して異常なので架空仕入の有無だけ検討すればよい」と押し切られた。仕入だけの調査ならば仕方ないかと思い、公認会計士兼税理士の甲氏へ電話連絡したところ12月上旬に1日だけとの条件付きにて、師走でごった返している問屋街のA法人へ午前10時に赴いた。

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