昭和51年のある衣料品卸問屋での出来事

エピソードⅠ  ❷

それは思わぬ発言であった

ぜい昔話

昭和51年12月上旬に1日だけとの条件付きにて、師走でごった返している日本橋問屋街のA法人へ午前10時に赴いた。この3年前、高度成長。高額賃金上昇や江崎玲於奈のノーベル賞受賞・巨人の日本シリーズ9連覇に湧いたが、この年は2月に米国でロッキード事件が発覚し7月に田中角栄元首相が逮捕され12月には三木武夫首相が退陣し、大蔵省出身で横浜中税務署長も歴任した福田赳夫内閣が発足するなど光から影の時代へ突入していった。

衣料品の専門店街として外せないこの問屋街は歴史の古さからも、また繊維製品のみならず小物、雑貨など品目の多さからも、そして現金安売り卸売問屋街として価格の低兼さからも、全国的に知られた存在で、関東大震災と東京大空襲に遭遇しながら復活を遂げた生命力のある街であった。この場所は江戸通りと清洲橋通りが交差する馬喰町交差点の東側にあった。

1階の店舗は地方から商品仕入担当の客で混雑していた。昭和33年発行の初の一万円券の表面は聖徳太子、裏面は鳳凰そして透かしは法隆寺夢殿の万札を手に、我先にと目当ての流行衣料品を籠に詰め、レジに並んでいる客の脇を通り抜けると高齢のダークスーツ姿の税理士らしき人物がおり、彼に案内されるまま2階へ上がっていくと60代のいかにも日本橋の老舗の社長が待ち受けていた。身分証明書を呈示して、「師走の忙しい時期に調査となり、誠に申し訳ない」と挨拶をかわし、畳敷きの15畳ほどの和風部屋に通された。部屋の中央には欅の一枚板の高級座卓があり、その周りには書類入の段ボール箱が多数山積みされていた。

商売は大阪、名古屋の衣料品メーカーから主に女性向けの衣料品を120日払いの手形で仕入れ、商品はすべてこの店舗に保管し、地方の衣料品小売業者に現金販売を行っており、売上の100%が店舗での現金売上であった。販売には社長、妻、長男のほか従業員5名が従事していた。また、役員や従業員の親戚関係や給与の算定方法・棚卸の方法等の事業概況を聴取したうえで帳簿調査に着手した。

総勘定元帳、売上帳、仕入帳、手形記入帳、当座照合表(現金払か)、小切手や手形発行の控えや、領収証等の証憑から上司に指示された仕入を中心に仕入納品書、請求書、領収書、(市販の用紙か)決済状況(現金払・小切手払・手形払・不定期払か)を調査するも不自然な取引は発見されなかった。

内心「これは良くできている。特に仕入には問題はなさそうだ。とりあえず、仕入資料をできるだけ作成し、税務資料として取引先の調査に活用させよう」と罫紙に住所、会社名、年月日、取引金額を記入していたら、立会の税理士が一言、「この猫の手も借りたい忙しい時期に、調査に来て資料取りですか?」と皮肉たっぷりの嫌味な発言をした。その一言は私も申し訳ないと気にしていた点であり、若い私の闘争心に火をたきつけるには十分であった。

▶︎▶︎▶︎ つづきは2021年(令和3年)6月号へ ▶︎▶︎▶︎

 

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