社長には資格はいらない

社長に資格はいらない

「社長」、「先生」と呼べば誰かが振り返る、と言われるくらい社長は多い。全国には約180万社を超える会社がある。最近では社長とは別に非営利的な性格を持つ組織体の長に理事長と言われる肩書きも多くなっているように見える。

いずれも組織体のトップでその種類によって呼称が違うのであるが、社長も理事長も自分がなろうと思えばなれるものである。資格も特別の能力もいらないので会社を作って「俺が社長だ」、非営利組織を作って「俺が理事長だ」といえば社長や理事長に成れるのである。

社長と経営者の違い

しかし、組織を運営する人々は別名「経営者」ともいわれる。数多い社長の中には「経営者」と言われると面映ゆく感じる人も多いに違いない。その違いは何であろうか。

社長には資格はいらないが、創業社長には、「俺はこの仕事で飯を食っていくんだ」「俺はこの仕事で家族を養っていくんだ」 という意思や『思い』がある。

「仕事」があれば社長に成れるが、さらに「情熱」と「目標」がなければ創業社長になれないのである。

社長から経営者に成長していくにはこの「目標」が、『家族のため』から、『地域社会に』貢献したい、とか『日本一』になりたいとか、『世のため人のため』に貢献したいとか、「目標」や組織の規模がスケールアップして変わってくるのである。

「目標」が大きくなればなるほど、目標達成のための情熱とか努力とか周りの人々を巻き込んでいく力が必要になってくる。

稲盛和夫氏は人生・仕事の方程式(成功 = 能力×努力×性格 ) の中で、特に性格は企業の盛衰を分ける重要な要素であるといっている。能力がなければ努力で補い、これらをプラスにするのは「性格」であるといっている。社長と経営者を分けるのは、この「社長の性格 (人格 ) 」 ≒ 「社長の器」を磨くことの重要性にいち早く気付くかどうかであると思っている。

「会社は社長の器によって決まる」と言われるが、松下幸之助氏や稲盛和夫氏は創業した 20歳代からこのことを身に付け、あれだけの企業の経営者になった。自然に身に付けている人もいるが、40歳台で気が付く人、50 ~ 60歳になって気が付く人、早くから「社長の器」を意識した社長が経営者に脱皮するのではないであろうか。

中小企業の後継社長は『器』を磨け

長寿社会になって久しい。社長には資格はいらないといったように、年齢にも格別の制約はなく、最近は定年になってから創業し社長になる人も多くなっている。

私も開業してから 50年経つが、長寿社会になって気付いたことであるが事業の承継にあたって、かっては後継者と想定されていた人たちが適齢期に承継することが難しくなってきていることである。

創業社長と後継社長は見かけは同じ「社長」であっても、大きな違いは創業者のようにやるべき仕事をもっているか、仕事に対する情熱があるか、素直に吸収できているかどうかである。

長寿社会に入って、承継の時期を失したために見られる多くの現象は、知や理に走り過ぎ自分の学んだ経営理論や知識に頼り、創業社長の仕事にかける思い、情熱を吸収・理解せずに反発したり、切り捨ててしまうことである。

できれば創業経営者の経営手法を一度素直に吸収し身に付けた上で脱皮することである。「守破離」。

社長には資格はいらない、しかし、本当は資格がいらないのではなく、仕事が広範かつ多様すぎて資格が作れないのである。世の中に通用する仕事をするにはそれなりの能力が求められ、それを身に付けなければならない。

そのためには創業者の良いことも悪いことも一度素直に吸収し身に付け、自分の器を磨き、それを乗り越えてその上に独自の自分の仕事を作り出すことである。

私自身 70歳を超えて初めて自覚できたことで面映ゆいことであるが、このことに早く気付き実践している社長が経営者として大成していると思うのである。

税理士法人LRパートナーズ 代表社員 小川 湧三

 


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