川崎・神奈川を東南アジアの玄関口に
川崎商工会議所会館 新築落成
7月 30 日(月)川崎商工会議所と鹿島建設との共同ビル「川崎フロンティアビル」が川崎駅前東口に建替えが完成し、神事と直会が執り行われた。
大変おめでたいことであるが、それ以上に完成した建物にふさわしい、今後の活動が期待されるところである。この直会に出席しながら日ごろ夢として考えていることを改めて考えているところである。それは川崎・神奈川を東南アジアの玄関口にできないであろうかということで ある。
川崎はマンハッタン、多摩川はハドソン川
何度かニューヨークへ行ったことがあるが、国内線でニューヨークに入るときにハドソン川の上を通ってラガーディア空港に着く。ハドソン川の上を通るたびに多摩川と羽田空港を思い出し川崎をビル群が林立するマンハッタンにできないかと空想していたものである。
川崎が盛り上がってこそ東京と横浜の結節点になるのである。川崎を盛り上げる糸口が羽田の国際空港化と神奈川口構想によって開かれた。川崎は、かつての京浜工業地帯の中にあって日本の産業や頭脳の集積地でもあるし、頭脳の中を実用化する技術の集積地でもある。
さらに、神奈川には箱根や湘南など海と山に恵まれた豊かな自然がある。羽田の国際空港化と神奈川口の開放が決まって、今まで夢想の域を出なかった私のぼんやりした思いに可能性が出てきたのかなと思っている。
グローバル化の中の日本
グローバル化が言われて久しい。1989年にソ連が崩壊し、自由主義と共産主義の対立に終止符を打って世界はグローバル化に向かったが、当時は混乱の中でどうなるのかわからなかった。
21世紀に入ってようやくグローバル化の実態がわかり、地球が丸いことがようやく実感できるようになったといえよう。
わたくしの「東南アジアの玄関口」構想は、グローバル化の中の日本を考えたときに川崎の臨海部(例えば扇島)を中心にアジア諸国一国あたり 10 万坪(※)総計約150~200万坪をアジアの各国と提携し投資を呼びかけて、アジア諸国の国別のビジネスセンターを中心に郷土色豊かなアジアタウンを作り、東南アジアのビジネスと情報センターとすることである。
このアジアタウンを核にして、羽田空港をハブ空港として川崎・神奈川を東南アジアの玄関口にしようという夢である。
※殿町国際競争キングスカイフロント( 14 万4千坪)
誇りを形に、日本は東南アジア諸国の先進指導国
グローバル化における国際戦略の一環としてアジアタウン構想が実現すれば文字通り川崎・神奈川は首都圏の国際ビジネスの一大拠点となり東南アジアばかりではなく世界の玄関口になるであろう。日本は東西冷戦時代のアジアにおける自由主義陣営の旗手であった。経済力もアメリカに次ぐ世界第二の経済大国であった。
現在のアジアにおける発展は日本に次いで韓国・台湾・香港の第一陣とタイ・マレーシア・インドネシア・フィリピンの第二陣、2000年以後の中国の第三陣、そして現在ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー・バングラディッシュ・インド等の第四陣の参加で東南アジア全域が自由経済圏になった。
すべて日本という近代化モデルと日本の推進力があって出来上がり、資本主義自由経済になってきたのである。日本はその先達としての自負を持ってアジアのリーダーの地位を名実ともに確立するにはアジアタウン構想はまだまだ小さい。
しかし、この構想が実現すれば川崎・神奈川が単に東南アジアとの玄関口の地位にとどまることはなく、世界が東南アジアにアクセスする、世界の玄関口になることは間違いないと思うのである。
夢見ることは楽しいこと、どなたかこの夢を実現して欲しいと思っている。
税理士法人LRパートナーズ 代表社員 小川 湧三
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