川崎を東南アジアの玄関口に

東南アジアの玄関口構想

世界がグローバル化をする中で、東南アジアは日帰り圏になった。東南アジアは夜、羽田空港を出発し、一日フルに仕事をして、夜の便で羽田へ帰ってくることができる時代になった。ハードではあるが日帰りでのビジネス圏になったのである。そんな感想を抱いたのが10年前である。

ほっとタイムス2012年9月号に書いた「わたくしの「東南アジアの玄関口」構想」は、

『グローバル化の中の日本を考えたときに川崎の臨海部(例えば扇島)を中心にアジア諸国一国あたり10万坪(※)総計約150~200万坪をアジアの各国と提携し投資を呼びかけて、アジア諸国の国別のビジネスセンターを中心に郷土色豊かなアジアタウンを作り、東南アジアのビジネスと情報センターとすることである。
このアジアタウンを核にして、羽田空港をハブ空港として川崎・神奈川を東南アジアの玄関口にしようという夢である。』

民主主義と覇権主義のはざまで

世界は大きく変わりつつある。覇権主義を掲げる中国の台頭である。

自由で開かれた世界が一つの輪になったグローバル化された社会が見えたと思われた2012年とは大きく世界情勢が変わってきた。

自由民主主義国対覇権主義国の対立の構造が浮かび上がってきている。その対立の中心地域が東南アジアである。東南アジアにはAPEC(アジア太平洋経済協力)、ASEAN(東南アジア諸国連合)、TPP(環太平洋パートナーシップ)、RCEP(地域的な包括的経済連携)、等重層的な政治経済連携の枠組みが矢継ぎ早にできてきた。

日本はこのような重層的な政治経済の枠組みの中で東南アジアで唯一の先進国として中核的な役割を果たしてきた。

最近は覇権主義をあらわにする中国の台頭に対して、安倍首相が提唱した「FOIP(自由で開かれたインド太平洋)」の理念のもとに、ともに世界の開かれたグローバル化を推進してきた各国と協力して様々な施策の展開をしている。

誇りを形に

日本は東西冷戦時代のアジアにおける自由主義陣営の旗手であった。経済力もアメリカに次ぐ世界第二の経済大国であった。現在のアジアにおける発展は日本に次いで韓国・台湾・香港の第一陣、タイ・マレーシア・インドネシア・フィリピンの第二陣、2000年以後の中国の第三陣、そして現在ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー・バングラデシュ・インド等の第四陣の参加で東南アジア全域が自由経済圏になった。

すべて日本という近代化モデルと日本の推進力があって出来上がり、資本主義自由経済になったのである。

日本はその先達としての自負を持ってアジアのリーダーの地位を名実ともに確立するにはアジアタウン構想はまだまだ小さい。しかし、この構想が実現すれば、川崎・神奈川は単に東南アジアとの玄関口の地位にとどまることはなく、世界が東南アジアにアクセスする世界の玄関口になることは間違いないと思うのである。

これが10年前の記事の中身である。今もこの思いは変わっていない。

鋼管跡地の再開発計画

時、あたかも令和3年、旧日本鋼管・扇島跡地の再開発プロジェクトに係わる「京浜臨海土地活用検討班」が発足したとのことである。

10年前は一個人の夢想でしかなかったことが具体的に形になるチャンスが出てきたのである。20年、30年ともいわれる日本の経済停滞の時代から川崎が、神奈川が、日本がどうテイクオフするか呻吟しているいま、日本の成長と世界への貢献を目指すビッグチャンスが巡ってきたのである。さらには、日本外交が繰り広げる「自由で開かれたインド太平洋」を目指す政府への強力な後押しにもなるであろう。川崎は日本の首都、東京と日本近代化の始まり、日本開国の地、横浜市の中間にあり、なおかつ、羽田空港という日本の国際空港に隣接しているという優れた立地にあり、川崎が世界の玄関口になるチャンスがやってきたのである。

また、神奈川県は鎌倉などの歴史文化遺産、横浜の明治開国の歴史遺産、箱根・湯河原・熱海と続く自然と観光資源に恵まれた立地にあり、世界の人々を満足させる資源に富んだところである。

川崎市、商工会議所、神奈川県の関係者の皆さん、このプロジェクトは単に鋼管跡地の再開発にとどまらず、港湾の大型化整備など波及効果はIR(統合型リゾート)などとは比べ物にならない経済効果、投資効果をもたらすのではなかろうか。

 

税理士法人LRパートナーズ
代表社員 小川 湧三

 



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